ここに写る、私、一人の女性、そして私の母は全員福島の「桜の聖母学院高校」出身、つまりプチ同窓会です(笑)。

会うのは実に27年ぶり(多分)!私の幼馴染で高校と大学の後輩Graceが家に来訪しました!千葉へ出張の際に寄ってくれたのです。

知人に英語の名前を付けるマイブームは、実は遺伝です(笑)。父が英会話学校を経営していた約15年間、生徒に英語の名前を付けてそれで呼び合うようになっており、大人になった今でも、その生徒さんは父が付けた英語名で呼んでいるんです。
彼女も父の英語塾に長年通った生徒さんでもあって、Grace(グレイス)と名付けられてからはもうずっと私達の中ではGrace。卒業生と私達一家が会うと、必ず英語名。こういう卒業生、福島にたくさんいます(爆)。
以前他の卒業生と私達家族が久しぶりに再会して、やっぱり英語名で呼んだら、「自分をその名前で呼ぶ人は水野谷家(うち)しかないが、やっぱりこれしかない(笑)。」と言っていました。
で、彼女は私の一つ下で、お互いが中1と中2の時に父が企画した塾の夏の旅行で一緒にオーストラリアに行きました。あれは本当に強烈な思い出で今も鮮明に覚えているのだけど、Graceもそうでした。
そして私の彼女も同じ高校、桜の聖母学院へ。そんでもってまた同じ大学、上智大学へ。彼女が、私を追って同じルートを辿っていた(もちろん学歴は周知だが気持ちの上で)ということを今日初めて知り、体育で留年になりかけた、学業を忘れ音楽ばっかりやっていたこんなスチャラカ先輩を追いかけてくれていたなんてむしろ恐縮・・・
オーストラリアでの爆笑思い出を話したり、それぞれのこれまでの出来事を話したり、何しろ27年ぶり(両親は30年以上ぶり)の再会ですから話は尽きず、終電まで盛り上がりました。
今米沢にご家族と住んでいるとのことで、米沢牛のビーフカレーと、職場で開発中のお菓子のプレゼントをいただきました。山形名物が色々と織り込まれているお菓子です。あんなに子供だった私達が、もう44歳と45歳!Graceは二児の母!アンビリバボー!

山形弁、福島弁の話、そして私達は東京に出てきた頃訛っていたので、それを修正するまでのプロセスなどの話もとても面白かったです。
私は18歳の時、「いぢがや(市ヶ谷)へはどうやって行ぐんですか」と駅員さんに言ったら通じなくて、「市ヶ谷」のアクセントが違っていると駅員さんに教えてもらった経験があります。少しずつ方言が抜けていったけど、今は関東・福島、切り替えればどっちでもOK!っていう状況になったもんです。
少し前にお父様を亡くされたとのことを知り、涙涙の時もありました。こうやってお互いに元気で再会できることを本当に嬉しく思います。



会うのは実に27年ぶり(多分)!私の幼馴染で高校と大学の後輩Graceが家に来訪しました!千葉へ出張の際に寄ってくれたのです。

知人に英語の名前を付けるマイブームは、実は遺伝です(笑)。父が英会話学校を経営していた約15年間、生徒に英語の名前を付けてそれで呼び合うようになっており、大人になった今でも、その生徒さんは父が付けた英語名で呼んでいるんです。
彼女も父の英語塾に長年通った生徒さんでもあって、Grace(グレイス)と名付けられてからはもうずっと私達の中ではGrace。卒業生と私達一家が会うと、必ず英語名。こういう卒業生、福島にたくさんいます(爆)。
以前他の卒業生と私達家族が久しぶりに再会して、やっぱり英語名で呼んだら、「自分をその名前で呼ぶ人は水野谷家(うち)しかないが、やっぱりこれしかない(笑)。」と言っていました。
で、彼女は私の一つ下で、お互いが中1と中2の時に父が企画した塾の夏の旅行で一緒にオーストラリアに行きました。あれは本当に強烈な思い出で今も鮮明に覚えているのだけど、Graceもそうでした。
そして私の彼女も同じ高校、桜の聖母学院へ。そんでもってまた同じ大学、上智大学へ。彼女が、私を追って同じルートを辿っていた(もちろん学歴は周知だが気持ちの上で)ということを今日初めて知り、体育で留年になりかけた、学業を忘れ音楽ばっかりやっていたこんなスチャラカ先輩を追いかけてくれていたなんてむしろ恐縮・・・
オーストラリアでの爆笑思い出を話したり、それぞれのこれまでの出来事を話したり、何しろ27年ぶり(両親は30年以上ぶり)の再会ですから話は尽きず、終電まで盛り上がりました。
今米沢にご家族と住んでいるとのことで、米沢牛のビーフカレーと、職場で開発中のお菓子のプレゼントをいただきました。山形名物が色々と織り込まれているお菓子です。あんなに子供だった私達が、もう44歳と45歳!Graceは二児の母!アンビリバボー!


山形弁、福島弁の話、そして私達は東京に出てきた頃訛っていたので、それを修正するまでのプロセスなどの話もとても面白かったです。
私は18歳の時、「いぢがや(市ヶ谷)へはどうやって行ぐんですか」と駅員さんに言ったら通じなくて、「市ヶ谷」のアクセントが違っていると駅員さんに教えてもらった経験があります。少しずつ方言が抜けていったけど、今は関東・福島、切り替えればどっちでもOK!っていう状況になったもんです。
少し前にお父様を亡くされたとのことを知り、涙涙の時もありました。こうやってお互いに元気で再会できることを本当に嬉しく思います。


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