シンガーソングライター水木ノアのすったもんだオフィシャルブログ 
5年前中野に引っ越してきてすぐ、お世話になった近所の写真館があります。何度か行って宣材写真を撮ってもらい、友人を連れて行ったこともあります。毎日通る店なのでこの写真館のご主人にしょっちゅうすれ違い、よく道端で立ち話して、オーディションの結果など報告していました。

その2年後ご主人引退のため写真館は閉店、私たちは写真館と客の関係ではなく、ご近所仲間になりました(≧∇≦)
で、さっき。買い物に出かけるためマンションを出たら、丁度ご主人がてくてく歩いているところで、お互い「あらー!」と片手を縦に振って(おばさんがよくやる動作(笑))、立ち止まり、今日はちょっと長めの立ち話をしたんです。

そこでびっくりな話をふたつ聞きました。ご主人は中野生まれ中野育ち。60年以上の中野の変遷を知っている方です。
私が住んでいるこのマンションが建つ前(40年前までのこと)、ここはK大学の教授の邸宅で、お手伝いさんもいる一軒家の豪邸だったんだそうです。土地を売ったのか、家は取り壊されこのマンションが建ったんだそうです。

私の住むこのスペースは当時の豪邸のどんな部分だったのかわかるか聞くのを忘れた。今度是非聞いてみたい。


そしてうちの裏手の話。そこは中野3丁目豪邸ストリートで、私が命名したのは「中野の成城」。結局どこなんだ、って言い方ですが(笑)。
大きな家と高級マンションばっかりなので、晴れている日はわざわざここを通り目の保養をしながら駅に行くんですけど、なんとこの一画の、うちのすぐ裏手に昔高村光太郎氏がしばらく住んでいたっていうんです。

高村光太郎氏といえば、私の実家にほど近い福島県安達郡生まれの智恵子さんが妻で、「智恵子抄」という詩集が有名です。智恵子抄は安達・二本松の自慢の文化財。福島に来たら是非「智恵子の生家」と「記念館」に足を運んでいただきたいのですが、高村光太郎氏が中野に住んでいたことはすみませんよく知りませんでしたっ!

それで、インターネット乗り換えて高速になった自慢のネットで(笑)早速検索。
「昭和27年、青森県より十和田湖畔に建立する記念碑の作成を委嘱され、これを機に小屋を出て東京都中野区桃園町(現・東京都中野区中野三丁目)のアトリエに転居し、記念碑の塑像(裸婦像)を制作。」
とある。本当に近所だ。

上述の「小屋」とは、岩手県花巻町(現在の花巻市)にあった小屋で、現在は「高村山荘」として保存公開されているそうなんですが、第二次世界大戦中、宮沢賢治の弟である宮沢清六方に疎開、しかし宮沢家も空襲で被災し、辛うじて助かった光太郎は花巻郊外に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送ったとありました。
岩手を出た後次に住んだのがここ中野。

「奥さんが福島出身なんですよーー!」と、私が自慢することではないことで興奮して(笑)、ご主人としばし路上で歓談してきました。

高村光太郎 Chieko_Takamura.jpg

福島と中野、私にとって縁深いこの二つの土地、色々関係があって面白いです。
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