シンガーソングライター水木ノアのすったもんだオフィシャルブログ 
あり得ないところから飛び出している 蛇口を 見つけた。
ひねってみたら、水が出た。

過去の遺物か、私の想像を超えた使い方のあるものなのか。

後ろに立ってそれを見ていたO君が
「1つ見つけたね。1つ見つけたら2つ、3つは早いもんだよ。」
と言った。

「使い方のわからないものを何個見つけたって、なんにもならないよ。」
と私は言った。

「過去の遺物でもない、君の想像を超えた使い方があるものでもない。それはこれから君が、自分の想像によって、使い方を決める蛇口なんだよ、わかるかい?蛇口をひねったら水が出る以外今の君は考えつかないから、水が出ただけさ。誰でも考えることだね。」

私はじっと、その蛇口を見つめていたが、なんにも答えは出てこない。

「うちに帰って瞑想することだね。」
そう言ってO君は立ち去った。

その後私は瞑想に入った。
何日続けても、蛇口はそれ以降発見することはできないでいる。
しかしたった一つ見つけた蛇口はまだじっとそこにあって私に再びひねられるのを待っている。

「またどうせ水が出るんだろ。蛇口なんだから。」
と私は投げやりになり、その蛇口をほったらかしにしている。
まだまだ自分を私は知らない。
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一つの黒いぐるぐるうずまきの模様が人生面に描かれてある
その線の上をひたすら歩くしかないとは

どの方向へも行きながら
どの方向にも辿り着かない
人生面上のぐるぐるを思いっきり引き延ばし
ある方向へ向けるべく、
夢中でシャツにアイロンをかける
蒸気を当てるタイプのやつで
シャツにアイロンをかけた
うずまきは消えなかった

人生は、ある物事に向けて向かっているその最中は、時と場合によって非常に早く過ぎているようにも感じたり、なかなか時間が過ぎないように感じたりもしますが、総合的に見て、死に至る直前には(もし死の前に自身の人生を振り返る余裕があった場合だけれども)誰しも、人生はあっという間だったと感じ、記憶に残っている様々な事が、もう数十年も昔に起こった出来事だということをすごく不思議に感じるんじゃないかと思うんです。

過去を振り返って、今でも鮮明に覚えている色々な事件も、もう何年も昔の出来事であるということに不思議さを感じられない心境になったある日私は、今からまた何十年も過ぎて自分が死ぬ時に同じ事柄を思い出しても、今とあまり変わらないのではないかと何となく思ったら、「時が全てを解決するなんて嘘じゃないか」と思ってしまいました。

しかし、人生を長く生きれば生きるほど、その経験した同じ事を思い出した時、何が違うと言えば、きっと、それに対する感情の薄れなんではないかと思います。
あれからこんなに年月がたったのか、と思うのは人生いくら長く生きても同じだとしても、今は思い出すだけでその時に感じた感情も一緒に思い出さドキドキしたり気持ち悪くなったりする事柄が、長く生きれば生きる程、それを楽に思い出し、平静で考えることができるようになる。
そういう事柄が一つ二つ増えて行くことで、その人に人生を感じるというか、長く生きた人の落ち着きや長く生きないと出てこない魅力のようなものが作られていくのかな、などと考えます。

自分が経験したことでまだまだ自分の中で消化しきれていない、自分という人格を色付けするにまで至っていないこととほぼ同じような経験を、他の誰かもしていて、それに関して相談を受けた場合は、自分も感情移入してしまうので的確なアドバイスはなかなかできません。
相談した人間と相談された人間とで、そういう経験に対しての共感と同情の方向へ流れて行きやすいので、一見相談に見えても実は互いの励まし合いだったり、ひいては自分と同じ不幸を背負っている人がいるということで得られる安心感を得るものだったりします。

しかしその経験が自分の中で完全に消化され、複雑な感情の変化を乗り越えて解決を見、一つの人生の経験として終了し、さらにそれからしばらく時間が経っている人間だと、的確なアドバイスができると思うんです。
人に対して的確なアドバイスができる人間になるには、やはりそう考えると時間が必要であると思いました。年令も重ねたほうがいいに違いはありません。

私はここしばらくの間、自分はもう色んな経験をしていて、人から何かを相談されても、自分の経験と記憶と知識などを総動員して何かしらのアドバイスができるだろうと、今考えてみれば、たかだか30年あまりしか生きていない人間としてはとっても恥ずかしいことを思っていました。

人生まだまだだな、と、美輪さんを見ていて思った今日この頃。

楳図かずおの漫画「洗礼」って、知ってます?私はこの漫画を中学生の時に読み、この過激なストーリー、この恐怖の絵に何ヶ月も悩まされ、一時期、読んでしまったことを後悔し、梅図氏を本気で恨んだ事さえある、思い出の恐怖漫画です。
そのストーリーは強烈だったので、今でもはっきり覚えており、ゴキブリの入った水を飲むシーンやアイロンを体に当てようとするシーンなど、大人になった今でさえ夢に出てくるシーンがあるんです。これを書いているうちにまた楳図かずおが憎たらしくなってきた(笑)。

実はノアは最近歯医者に行きはじめたのですが、その歯医者に、この「洗礼」全巻が置いてあったのでございます。げっ!洗礼だ!と思い、その表紙を見るだけで子どもの頃の恐怖がまた沸き起こってきたのですが、やっぱりその衝動を押さえることはできなかった。子どもの頃あれだけ苦しめられたこの洗礼を、今読んだらどうなのか?という。それを知りたくて、また、結局は部分的に忘れているストーリーを思い出したかったため(笑)、手に取ったわけでございます。

しかしなんで歯医者の待ち合い室にこんな漫画が?
そっちの方が興味深い。。

とにもかくにも1ページを開きました。数ページ読み進むにつれいもづる式に甦る記憶。こわいこわい!この話はやっぱり怖い!でもちょっと私も大人になっているため、読みながら泣く、泣き続けても読み続ける、という子どもの不思議な行動を再びすることはなく、落ち着いて読み進めて行きました。冷静に読みながら、この時代に脳移植のネタを恐怖漫画にした楳図かずおって人はすごいよなあと思ったり、ネタ的に絶対ありえない!おもしろすぎ!というような展開も多々発見し、同じ漫画を全く違う感情で再び読んでいる今日この頃です。

実は私は学生の頃、中野のブロードウェイにて梅図氏本人とすれ違ったことがあります。赤と白かなんかのシマシマの囚人服みたいなシャツによれよれのジーンズをはき、やはりもじゃもじゃの頭で、つっかけサンダルを履いて手ぶらで歩いていました。驚くほど痩せていました。
すれ違いざまに「あ!楳図かずおだ!」と思わず発し、振り返ると、彼は前を歩きながら振り返らずに手を振ってくれていました。洗礼の責任を取れ!と言いたいところだったが、そこまでは言えず。。逆に、あれだけの衝撃を私に与えた張本人の姿を真近で見ることができた感動
の方が大きかったのを覚えています。まさにアーティスト。

2004年というのは、4という数字が入っていて、4桁をそれぞれ足すと6になる。2005年は、5という数字が入っていて、それぞれを足すと7になる。だから2005年は2004年よりきっと良くなるはずだと思っていました。

でも5と7という数字が4と6という数字より縁起がいいという証拠はどこにもない。4月はとてもいい季節だし、6月は日本は梅雨だけど欧米ではジューンブライドだ。

ここでまた考えちゃう、2006年は2と6を足すと8。8はとても好きな数字。すえひろがりでとてもいい数字とも言われている。2006年はいいのかもしれない!とかね(笑)。

不思議なことをこれから書くのでこのブログは「怖くない方の不思議出来事」に入れてしまうのですが、今私は2か所でアルバイトしていて、1か所で音楽の仕事をしているので毎週、3か所には少なくとも移動するのだけれど、2006年になって初めて気付いた。
全部8Fだ。。

これってすごくない?すごくない(笑)。
それになんで今になって気付くのか(苦笑)。
1か所のアルバイト先は、去年まで15Fだったのですが、最近同じビルの8Fに引っ越ししたんです。


話は変わりますが、4989というという受験番号で落ちたら、受験番号を理由にする。合格したら、悪い番号ほど、運気が上がるものだと解釈する。

結局、数字の力はどこまで存在するのか、いまだに謎。

というわけで、今日はエイプリルフール。
2人に騙され、私は騙せなかった。。くやしいのでまた来年!