シンガーソングライター水木ノアのすったもんだオフィシャルブログ 
丸子が出産しました。2月28日 午前2時。4匹誕生いたしました。

チャトラ 焦げ茶の模様無し 白黒ブチ そして三毛。
てんでばらばらなのがハコの中でムニムニ動いております。

本当に可愛い。しかしうちでは全部は飼えませぬ。以前2匹産まれた時、マル1とマル2と名付けましたが(なんて安直!)二匹とも知り合いの所へ旅立って行きました。

今回のマル3、マル4、マル5、マル6も里親さんを探しています。
実はどうして避妊をしないかというと、丸子は横隔膜ヘルニアという病気を抱えているんです。。手術をしないと治らない反面、手術がとても難しく、なおかつ死に至る病気ではないこともあり、医者と相談して、様子を見て、本人がこのまま生きて行くことにしたほうがよいかどうか判断しているところなのです。

どうして避妊ができないかというと、生き物の体は人間も動物も同じく横隔膜によって上半身と下半身の内臓に分かれているんですが、横隔膜に小さな穴が空いている為に下の内臓(胃腸)が、穴から上半身へ入り込んでおり、心臓と肺のまわりになんと腸があるという、実に難しい体になっていて、そして手術をするために一度開腹すると、それまで真空
だった上半身(心臓、肺があるところ)に横隔膜の穴から空気が入ってしまうため、手術をすることによって、ずっと生き続けていけるはずが、その時点で死に至る可能性があるというのです。

まず、横隔膜の穴から上半身に入り込んでいる腸をもとの位置にひきずり降ろして胃腸を正しい位置に配置して一度手術を終わり、しばらくの後でないと避妊手術はできない。
避妊手術をするときに横隔膜に穴があいていることを知らないままだったら、空気が入ってしまうからその時点で死亡。

丸子は、呼吸が他の猫よりも少し早いので病院に連れて行った所、レントゲンで横隔膜ヘルニアが判明しました。そして妊娠したばかりであることもわかりました。

これでは避妊手術はできない、横隔膜を先に治さないと。しかしこの手術は、特に丸子の状態では結構難しい、そんでもって、必ず手術しないとすぐ死んでしまうわけではない。
とにかく今回は出産をさせましょう、出産することは問題ないから。子供が大きくなってくるとちょっと苦しいかもしれないけど。とのことでした。横隔膜の手術をするかどうかは、今すぐ決めなくてもよい、子供が出て来てからの丸子の状態によると。

そんなこんなで、避妊ができなかったので二度目の出産となりましたが、医者の言う通りに色々やって、とにかく無事出産して4匹も出て来ました。4匹ともとっても元気です。
丸子も頑張りました。暖房もふとんも全て丸子のために使って要塞を作った私。 なんて猫好きなんだ私は、と自分で苦笑中。

この横隔膜ヘルニアというのは、正しくは病気ではなく、「外傷」とのことです。まれに生まれつきのものもあるがノラ出身の場合は大抵外傷だそうです。

丸子がうちにひょっこり来るようになったのは約1年と少し前ですが、そのときは見た所まだ子猫で、親から離れたばかりくらいに見受けられる大きさでした。
その頃から、ゴロゴロを言わないなあ、本人は鼻を鳴らしてるだけで、音が鳴らない以外は、私の猫経験からするとゴロゴロを言っている時の状態なんだけどなあ、と思って いました。

医者にそのことを話すと、うちに来る前のもっと子猫のノラだった時代に、すでに横隔膜が破れていたんだろう、そしてその原因は一番可能性が高いのは、非常に悲しいことながら虐待だそうです。
子猫の時に捨てる前の飼っていた人間がやったか、最初からノラだったのであれば通りすがりの人間がやったか。。

何をやったかというと、横隔膜が破れる、という状態に至るには一つしかない。
猫の腹を、思いきり蹴り上げることです。 本当に強く蹴りあげなければ、横隔膜が破れることはないとのことです。

人間がやったのでなければ(結局は人間なんだけれども)車か、自転車にひかれて、そのまま放置されている。ただ子猫の状態で車にひかれて横隔膜だけが破れただけであとは外傷なし、というのは普通考えられないので自転車でひいたか、虐待か、この二つだろうと。

このことが、事実丸子の身の上に起きていたのかもしれないと考えると、もう腹立たしくて悔しくて、悲しくてもうずっと前に過ぎた事ではあるけれど眠れなくなります。

ただもう幸いなことに、これだけ飼い主に慣れていることだから、本人は人間にそうされたことも記憶にないし、今は痛みもないから、これからの丸子ちゃんを可愛がってあげてくださいと、医者は言いました。

今の丸子は、普通の猫より呼吸が早く、横隔膜の穴のせいで体温が通常より少し低いので、本当の健康な猫のように走り回ったりはできませんが、元気に生きています。丸子が来た事で私も異常に細部にまで気を使うようになり、私の生活も結構変わっちゃいました!
でも生き甲斐だからこれでいいのです~。

最近の私の大きな出来事でしたー!
猫を飼いたい方、是非ご連絡を。苦難を乗り越え誕生した貴重な猫たちです。 受け渡しは5月中になると思います。
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リングハリウッド版を拝見。1時間くらいしてから突然お腹が痛くなり中断。

井戸に落ちた女の子が意識を取り戻して、自分がいる状況を把握する。この映画を見ながら「こんな死に方したら辛いだろうな。。」と考えたちょっとの隙間に、なんだかすごく具合が悪くなった。

全身にぐわーっと、身の毛のよだつ感じが襲って来る。ここは井戸の底だ。
誰も気付かない。自分では絶対に上がることはできない。。。この状況を把握した時、体はどうなるか。それって、普段考える事ではないし、映画を見ている最中でも、映像を見て怖い怖いと思いながらも、よくはわからない。
井戸の底に自分がいる、いうことを認識した瞬間、人間は、言葉では表現しようのない恐ろしい絶望感と、猛烈な吐き気が襲うのかもしれない。体中の筋肉が硬直して痛み出し、体中の血がものすごく早く巡って、爆発するかもしれないと思うくらい、ぐるぐる巡るのが感じられます。止まらない震えと吐き気で、水が深くて足が届かない場合は、震えて溺れて、泣いて、吐く。この普段はめったに考えることのないことを私は無理やり考えさせられて本当に怖かった。

リング(ハリウッド版)っていう映画は、霊が怨念を残していてそれを生きている人達に伝えるために色んなこわいことをする、というよりもむしろ、愛する家族から見捨てられた悲しみ、愛されない悲しみや孤独、そして本当に辛い死に方をした苦しみ、こういうことがテーマになっているとても悲しい映画だと思いました。ホラー映画は霊が出てくる時の怖さを、いかに怖くするか、というところに技術が行きがちだし、見ている方も、霊が出てくるところの怖い部分を感じたくて見ているのかもしれないのだが、実際、霊が出てくるくらいの状況は、普通じゃありません。何か理由があるから出てくるわけであって、霊が出てくる事自体、そうなったらその裏にはとても悲しい事実があるはずなんです。

(私にとって)ホラー映画が何で怖いかって、そうやって実際死んだ人も、その映画のことを知っていて、まわりに寄って来る気がするからです。広い世の中には、映画のストーリーと似たような状況で死んだ人っていうのがいます。むやみに書く事はプライバシーの侵害にあたると思うので(法律では霊のプライバシーを守るものはないけれど)、書かない方がいいのかもね。。リングは涙でした。

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気が付く事や、実行に移す事が、「遅すぎる」ということは本当にないと思うんです。私は音楽活動だけでなく、人生一般にそれを信じて生きています。
改善すべきことに気付いたとき、それがいつであろうとも、その時からがスタートであって、もっと前からやっていればよかった、気付いていればよかった、というのはいらぬ反省だと思っています。次は行動を起こせばいいのです。しかしそれはとてもエネルギーのいることです。だから、問題は感じているのに気付かないフリをしている自分って、結構います。
問題提起するのが面倒、気付いたところで、打開するために動くのが大変、様々な理由が、バンド運営に限らず人生の中にはあります。そうやって、「気付いていればよかった」という反省よりもむしろ「あのとき行動に起こしていればよかった」という反省の方が多かったりするもんです。そもそも「気付いていればよかった」という言葉はおかしい。理由をちゃんと説明できませんが、感覚で。「気付いていればよかった」はおかしいよねえ。。。

それよりも気付いていたのに何もしなかった、という方が重大であり、気付かなかったことより多分悔やまれることだと思う。

パンテラというバンドがいます。PANTERAです。私は学生の頃、先輩がこのバンドの話をしているのを聞いていて、パンテラを知らない他の先輩が、「へ?!パンテラだったの??パンターAだと思ってた!ぶはは!」ということを言っていて、私も一緒になって笑ってみたのですが、実はその私も、このバンドをパンターAだと思っていたんです。

なんでパンテラをパンターAと読む人が二人もいたかというと、多分ロゴです。PANTERAのその時のジャケは、最初のPと最後のAが、大き目に表記されていたんです。そしてさらに全体的に曲線に描かれていて、最後のAに向かって風が吹いたように、っていうか、こう、ヘヴィなサウンドのバンドによくあるギリギリしたロゴです。PANTER Aです。で、実際パンテラをパンターAだと思っていた時期はそう長くはありませんでしたが、ロックをやっている人間として非常に恥ずかしい思いを、内心、してました。そんな記憶があります。

そして思い込みっていうのがこの日記のテーマなんですけど、以前ケンジが、カーチェイスのことをいまだにカーチョイスと言っていることを書いた事がありましたが私も人のことは言えない、思い込みや、間違って覚えていたことって結構あるんです。

例えば、「バンジキュウス」。これは中学生の頃です。この頃にこの意味をまちがって覚えている、というのは、年齢的に恥ずかしいことかもしれません。。「万事休す」は、全てが停止してしまう、手のほどこしようがない、という意味ですが、私の思っていた意味はほぼ正しいがかなり微妙です。私は、全ての物事が急須のような小さくて暗い入れ物の中に入ってしまって、そこから出られなくなることだと思っていました。要するに「休す」を、「急須」だと思っていて、万事が急須に閉じ込められる、という風に思っていたわけです。そしてそこに茶なんか入れられた日にや、あっぷあっぷで溺れてしまい、そのうえフタをされた時にや、全てが終わる、死ぬ、という状況を想像していたんです。根拠はありません。なんとなくです。小学生から中学生をやっている間に、自然と、いつの間にかそう思うようになっていたんですな。いつしか、誰かの話をそばで聞いていたか、自分で勉強中にわかったか、きっかけは覚えていないが、いつのまにか正しく「万事休す」に修正されていました。

話は変わりますが、よく一般的には、食べ過ぎを続けていると胃が大きくなる、と言われていますが、医者の知り合いから聞いた話では、実際に胃が大きくなることはないということなんです。胃はふくらみこそするけれども、食べ物がなければまたもとの大きさに戻るわけで、食べ続けていると胃が大きくなるからもっと食べないと満腹にならなくなる、というのは間違っているらしいんです。そんな風に、思い込みとか、まことしやかに言われていることとかで、正しいと思っていることが実は
全然違う、なんてことが自分の中にもたくさんあるのかもしれない、と思いました。