シンガーソングライター水木ノアのすったもんだオフィシャルブログ 
昨年テレビの中でのあるコメントがしばらく頭にこびりついていて、別に私が言われたわけではないのだけれどもなんとなく印象に残っていたことがあるんです。
どこかのテレビ局で、インターネットをテーマにした話題を話している番組があったとき「もはや「日記」を人に公開するというおかしな時代になった」というコメントがあり、またもう一つ、「どこの馬の骨ともわからん赤の他人の、一般人の日記なんか誰が読むんじゃ!」というコメントを聞いたときは、それってアタイのことだと思って、テレビの前で「。。。。。」状態に陥りました(笑)。

そんな中で、私の日記、「ノア日記」とは自分にとって何の意味があるのだろう、と考えたりしていました。私は影響されやすいですねえ。。
そこで年末年始に公開日記についてぼんやり考えていたのですが「公開日記」という言葉自体も非常に新しい言葉だということに気付きました。「公開日記」なんて言葉を夏目漱石なんかに言ったら、「それは日本語として間違っていますねえ。」とか言われるのじゃないか?(笑)

「日記」という言葉自体にそもそも他人に見せるものではなく、自分自身が自己反省したり、本日起きた出来事を自分で記憶しておくためなどに書いたりするという定義があるから、誰かに読んで欲しいな、と思っている時点でそれは日記とは言わないかもしれないんですよね。そこで私のこれまで書き続けてきた日記にはどんな意味があるのかともう一度考えて、それで他の皆はどんな目的で書いているのか知りたくなり、色んな人の日記を読んでみたんです。
インターネット上の、もともと知り合いの日記や、バンドやアーティストのの日記や、適当に検索した全く知らない人のブログや、とても有名な人のたまに書いている手記とか。それを読んでいるうちに、文面やスタイルこそ違えど、共通点があることがわかりました。ネットで日記を「公開」している人というのは、アーティストなど、活動そのものを知って欲しいという目的があろうと、特定のテーマについて掘り下げている人の日記であろうと、特に何をしているというわけではない、ただ今
日一日あった出来事をひたすら書き綴っている日記であろうと、やはり「人に読まれること、読んでもうらうこと」を意識している。

当然のことかもしれないけど、ネットに載せるという手段を選ぶところからすでに、やはり自分以外の人に「読んでもらう」ことを念頭に置いているわけです。絶対読んでもらいたくなければネットには公開しないだろう。何かを目指している人もそうでない人も、訴えたい何か、知って欲しい何か、読んで欲しい何か、がある。。
他の人に対して、問いかけがあるんです。不満を爆発させている日常の出来事を綴ったものであっても、ノートにぶつけて書いて、それを誰にも言わないという意識や行為とは全く違う意識構造が感じられます。他の誰かに「知ってもらう」こと。

そう考えると、「もはや「日記」を人に公開するというおかしな時代になった」というコメントに対して別な視点をすれば「公開されているのは日記ではない、公開されているものを「日記」と言うことが問題なのである。ネットで公開されている、現状「日記」と呼ばれているものには、何か新しいコトバを作るのが妥当だ。」とは言えないか?
エッセーとか、自叙伝、とか他にも今あるじゃん?という意見もありましょう。しかし、今ある日本語では正しく表現できない「日記」がある
ことを感じます。エッセーでも自叙伝でもない、ほとんど「日記」なのだがやはりただの「日記」ではない「現状日記と呼ばれているもの」。

例えば誰にも見せないことを前提とした、今日一日起きた出来事をノートに書く場合を想定してみます。

「今日ハナコに会った。久しぶりに顔を見たが、プチ整形をしたんだろうか、私が知ってるハナコの目はもっと細くて小さかった。今日会ったら、はっきりとした二重で、私よりも大きな目をしている。私は整形は否定しているわけじゃないから、本人から言って来たら「いいじゃない?目、大きくなったね。」と、その話題に乗ろうと思っていたのに、ついぞ本人からこの話を持ち出すことはなかった。」
ごく単純な短い日記の一例です。

ネットに同じようにこの話題を載せるとき、これを全くこのまま上げる人はたぶんいない。ハナコという実名を「ある友人」としたり、それにこんな日記じゃ文章が短すぎるし体言止めっぽくて本当に「ただの日記」です。「ただの日記」をネット載せている人は、私の研究した限り(何を研究しとんのか)、存在しないような気がする。話題は同じでも文面がいじられます。多分確実にいじる。やはり「公開」を意識しているんです。どんな単純な、「ほとんどただの日記」と呼ばれそうなものでさえも、「ほんとうのただの日記」ではないと思います。

そういうことで、「日記をネットに公開する」という言い回し自体が間違っていることになるんじゃないか、というのが私ながらの結論。

また、様々な公開日記の中でも、特に「自分の主張をするわけでもない、ただ身の回りに起こった出来事なのに「他人が読む」ことを前提に書かれる文章」の誕生は、そうだなあ私が子供だった約20年以上前にはなかったことだったと感じています。
自己成長や自己反省のためだけに書くのではなく、他の誰かに知ってもらい理解してもらい共有してもらう、という潜在意識、ぼんやりとはしていても心のどこかで、人との心の接触を求めてのかなと思います。

Goddessオフィシャルサイトの一画にあるノア日記に手をつける時、私という一人の人間の考えていること、経験したこと、そういったことを私以外の人に発信したい、という意識も、少なからずあるわけですね。ただやっぱり最後には私という人間を日記から知ってもらって、もし興味を持ってくれたらライブに来てネ、という気持ちがあるんですけどね(笑)。
そこがアーティスト日記のいやらしいところだと思いますな(爆)。ま、そのくらい自己顕示欲が強くないとできない商売ですけど。
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