シンガーソングライター水木ノアのすったもんだオフィシャルブログ 
信号の前でおじさんがポケットから何か落としたので「すみません〜」と声をかけたら、振り返り「なんじゃらほい?」と応えた。なんじゃらほいと、冗談じゃなく素で普通に言う人がいた(笑)。
こりゃおどろいた。

と、先日Twitterにつぶやきました。

路上で私の前でハンカチを落としたおじさんに声をかけたら、振り返って「なんじゃらほい」と言われ、全く予期していなかった回答に後ずさりしつつも笑いをこらえながらハンカチを返したという出来事がありました。それを呟いたら皆さんから色んな回答があってちょっと盛り上がりました。
それで、「なんじゃらほい」というのはどこの方言だったか?「なんだそれは」という意味ではないかなど色々コメントを寄せていただいたので、ここはひとつ、この言葉について調査してみようという気になったのです。

調べてみると非常に面白いことがわかりましたよ!
それにしてもYahoo知恵袋ってのは、本当に何でも書いてあるんですねえ!どんなくだらないことでも大概他の誰かが疑問を呈しているYahoo知恵袋を、私は「現代人の集合意識」と名付けたいと思います(笑)。

こんな質問がありました(概要)
「20代だが『なんじゃらほい』という言葉を友人とよく使う。そうしたら40代の人も知っていて驚いた。これは古い言葉だったのか?」

こっちがびっくりするって!(40代)

そして様々な回答の中から「普通に誰でも使うんじゃないか?」
にもびっくり!
言われたことで驚きわざわざ記事にした私は浅かった・・・と思わざるを得ない。

しかし多くの回答は、むしろ年配の人の言葉だと思うというものでした。

この回答を述べるにあたり、諸説の中からどうしても2つの全く違う説がどちらも説得力があるので、両方の説をご紹介します。全く違う方向からの説でありながら、どちらも捨て難い。

まずは「表向き」の説をご紹介しましょう。
これはなんと、長野県の木曽福島町の有名な民謡「木曽節」発祥なのだそうです。大正7年に木曽福島町長をしていた伊東淳(いとう すなお)さんが観光客誘致・地元振興のためにこの民謡が広まるよう尽力したことが成功し、民謡の中でも他県の人でも知っている有名なものになりました。

木曽節は木曽踊りを踊る時の歌で、 鎌倉時代に木曽家12代目信道が小丸山城を築き、戦勝を記念した霊祭で踊られた“風流陣の踊り”という武者踊りが「木曽踊」の起源と考えられているそうです。
それが後に民衆の間で盆踊りになった。

そしてまた、本当は「なんじゃらほい」ではなく「なんちゃらほい」が正解で、そのうち自然に変化して「じゃら」になってしまったらしい。
NHKの「民謡魂」で木曽節が歌われた時も、正しく「ナンチャラホイ」と歌って、字幕も出ていたそうです。
「何だろう」「何のことか」という意味で「ホイ」は合いの手。

「ちゃら」ではなく「じゃら」の方が広まった理由は、だんだんと「じゃら」に変わっていき、ついに昭和初期にレコードになった際、歌われたのが「なんじゃら」の方だったので、そこから全国的に「なんじゃらほい」が広まり日常的にも使われるようになったようです。

ということで、まず「表向きの」語源解説まとめ→信道の戦勝を記念した武者踊りの歌が木曽節で、歌にある長野県木曽福島町の方言の「なんちゃら」が変化、意味は「何だろう」「何のことか」。


ここから、さらに面白い説2をご紹介。
2014年に噴火した御岳山は霊山として有名で、修験道を兼ね備えた山なのだそうです。
信者によって歩き綴られた修験道があり、そこで祈祷を捧げる行者によって歌われたのが、この木曾節だという説です。

信道の戦勝を記念した武者踊り発祥説から打って変わって、祈祷を捧げる修験者によって歌われた説。

その根拠として、ヘブライ語があります。
ヘブライ語で「ナ」は「祈り」を意味。
語尾に子音の「メム」を付加した言葉が「ナアム」であり、「予言する」「預言者として語る」という意味を持っています。
「チャラ」はヘブライ語で「前に進む」「栄える」を意味。
また「ホイ」はこの説だと合いの手ではなく、ヘブライ語に「ああ」という嘆きの意味を持つ「ホイ」という言葉があるので、つまりこうなります。

「ナン チャラ ホイ」=「ああ、この世が良くなりますように」

おお〜ぅ!「なんだろ〜〜」から「ああ、この世が良くなりますように」という高尚な意味に変わってしまった!
でもやはりこちらの説も正解は「なんちゃらほい」ということになりますな。

そして歌詞にある「中乗り」という言葉、解説1だと船頭と考えられますが、解説2だと神の言葉を信者に告げる「中座」(神の依代)を指すということになります。

皆さんはどっちに軍配?

もしかしたら、武者踊りから発祥したとはしても、発祥のおおもとはヘブライ語である可能性は高いかもしれない、と思いました。日本語にはヘブライ語発がたくさんありますからね。

以上、「「なんじゃらほい」調査結果でした!

真実は・・・なんじゃらほい!
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昨年作ったオリジナル曲「誓い」

「この人と共に生きていく」そう決めた時の女性は強い。そして「この人を守っていく」そう決めた時の男性も強い。テレビでは、結婚というものを相手のステータスや年齢や見た目などなどで査定し決めるというようなことが当たり前とするような考え方が見受けられるので、結婚を目的に結婚相手を探すのではなく、「この人と一緒に生きたい」と思った時に初めて結婚という考え・現象が発生する、という私の考えを詩にしてみました。

私は昔からそれが当たり前だと思っていたのですが、そうでもないらしい世の中なんだとわかってきました。。。

この、相手のために生きたい、相手を幸せな気持ちにしたい、心から愛している、こんな先立つ感情があってこそ、結婚に対し本当の覚悟ができて、幸せな結婚生活が送れると思うのです。いないのならば、無理に結婚をする必要はない。むしろ、してはならないくらいとまで思っています。相手に対して失礼です。その人の人生に影響を与えるのだから。

遅ればせながらアメリカのドラマLOSTにハマり始めている水木ノアです。今シーズン2に入ったところです。121話あるので、毎日2話見ても年内には終わらない。年末年始の休みで追い込みかな!(笑)

ネットを見ると「とても長くて挫折しそうになるかもしれませんが、最後本当に感動するので、諦めないで頑張ってください」というコメントを見つけました。
シーズン1の2話目からもう、これは相当面白いと感じたので、そもそも制覇するつもりではいたけど、見始めてから途中で、「もしこの人の感想を読んでいなかったら、結論に辿り着くまで我慢できなかったかも?」とも思いました。

たくさん登場人物がいる中、シーズン2現在で私が最も好きなキャラクターはもう群を抜いて、サイードです!(≧∀≦)サイードカッコイイ!、サイードは、イラク出身という設定で英語も相当なイラク訛りです。
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しかし実はこの人Naveen Andrewsさんはイギリス人です。他の作品、インタビューでは、イギリス英語を普通に話しているので、LOSTからナヴィーンに入った人は、この人の普通の英語にかなり驚くらしいです。
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そしてもう1人、LOSTでは全く英語の話せない韓国人のジン役、ダニエル・デイ・キムは、韓国生まれのアメリカ育ちで、ネイティヴ同様のバイリンガルです。ハワイファイブオー始め他の作品では相当喋る役が多く、結構ひょうきんです。
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そんな中LOSTでは、英語なんか全く知らない、飛行機堕ちた後の集団生活でも誰とも交流できず、喋る時はひたすら韓国語でまくし立て、たくさんの誤解が生じて前半かなり孤独です。
その彼が、サバイバル生活の中で少しずつ覚えて発するカタコトの英語が、役とは思えないほどのリアルさで、知らなければ本当に喋れない人だと思うでしょう。

私はむしろ、韓国語を話すダニエルを初めて見ました(笑)。
英語が話せない役でも基本英語が普通に話せることが最低条件のハリウッド映画・アメリカドラマ。これはあくまで役なんだとほとんどの人が知って見ているものの、後で別な役を見た時驚かされるってのは役者冥利に尽きますね。

LOSTのラストを見終わったら、ハマり過ぎてて私は仕事をLOSTしていたなんてことにならないように気をつけます(Twitterで既に使ったネタ使い回し)。

だいたい拝見しましたが、ひとつ、この動画をシェアしたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=F0TDxfHydwo&feature=youtu.be

FBをやっている方はもちろんネットを見ることは可能だし機会も多いかと思いますが、テレビでは完全シカトされているのでやはり多くの方がこの人の考えを知らない状態にあると思います。
三宅洋平さんに投票すると決めた人は私の知人には多い。これは、まだ三宅洋平ってなに、と思っている人たちに向けて、書きました。

政治的な立場や考えを明らかにするとアーティスト活動がしにくくなると以前言われたこともあるけれど、しにくくなるほど私は発言力はないし、三宅洋平さんを支持していることを知られても何の不都合もありません。
与党や、他の政党を支持している人とも、喧嘩じゃなく歩み寄りで話し合い、国は変わらなければならないと思っていることは共通していると思っています。

少しでも日本が良くなってほしいとは、誰しも考えていますよね。国民の7割が不満を持っているという現状日本。選択肢は色々ありますから、まだ知らない方、三宅洋平さんの街頭演説を聞いてみてください。そして、判断していただければと思っています。

投票日前日になってようやく書いて、今更間に合うのかとも思いましたが(^^;)、三宅さんの街頭演説のほとんどを見終わり、自民党のやろうとしていることとどこが違うのか、立候補者それぞれの考えを知るまでエライ時間がかかっちゃったので、今日になりました(笑)。

自分自身にもやることがあるし立候補者の演説など聞いている暇がないという方は多いと思います。だけど私たちはこの日本にこれからも住んで、自分自身のやることをやっていくのだから、人に任せて勝手に日本が住みにくくなっていったのではやりたいこともできません。
自分が誰に投票するか決めるまでのしばしの間、じっくり街頭演説を聞くのも、仕事のうちです!忙しかったったらない!(笑)

各々、応援する立候補者がいて、懸命に動いてきたと思います。まだ明日まで少しあるので最後のひと押しも頑張っている人も多いかと思いますが、とにかくお疲れ様でした。

6月になりました。あっという間に1年の前半が過ぎようとしています。多くの初めての方に出逢い、久しぶりの方に出逢い、未来の話にウキウキし、昔話に花を咲かせ、そして新しい友人と私の古い友人が繋がり、新しい友人が古い友人を私に繋げてくれ、人との繋がりとによって色々なことが動いていくことを強く感じる今年です。

自分が動くことによって何かが動くこととともに、何を考えて動くかによって結果がどうなるか先に感じるようになってきました。マイナスなことやネガティブなことを考えて動けば結果はそのように自分に返ってくるし、プラスなことやポジティブなことを考えて動けばそういう結果として自分に返ってくる。
これは私が周囲に影響を与えているというような傲慢な考えではもちろんなく、誰しも地球の中心で、つまり全ての中心から日々何かが発せられ、その中心となるその人に対して返ってくるものが、その人の今であるというようなこと。

多くのスピリチュアルな方々が、日々、自分の周囲の人たちが幸せになれるよう祈っています。そのような人の近くに行くと、幸せをいただけます。
私がネガティブオーラを出しているとします、すると、私と接触した人はネガティブオーラに触ります。その人も影響を受けます。私と接触したことでその人に何か良からぬことが起きることは避けたい(苦笑)。
地球の平和を願ってはいるけれど、まずは近くの仲間の幸せを願う時、私の周囲にいる人達がより幸せになるようになるためには、中心となる私がポジティブなことを考えている必要があると思います。

そして一人ひとり(皆発信源なので皆中心)が幸せ、あるいは今辛くても人の不幸を願わず前向きに頑張っていれば、その周りにいる人達が幸せになり、結果みんな幸せになる。
そういうのは理想論だとも思うのだけれど、いつかそんな地球になってくれればいいなと考える今日このごろです。

人の思いは形になる。思いというものは人が思っているより強いと思います。ネガティブなことももちろん形になるけれど(むしろ強い)、思えば思うほど傷つくのは自分であって、相手ではありません。
私も過去にやらかしたことを反省しながら、私にされたことももういつまでも気にしない。お互い様であると思って、互いを許しあえる世の中になれば、憎みあいも終わるだろうか。

今youtubeで「日本人の黒い瞳を青に近くする方法」ってのを見ました。簡単にまとめると「菜食」にするってことなのですが、江戸時代より前の人たちは現代の日本人より肉を食べなかったと思うんだけど、目が青かったのか??
体から毒素を出し、浄化すると目が青に近くなってくるということですが、黒い瞳を青くするということで、もともと青い目の人たちが黒い目の人たちより体が浄化されているという意味ではないと思います。

もちろん浄化することは非常に良いことだし提案されていた食品8種は、是非食べたいものではあるんですけどね。
ちなみに「人間の目の色は不変ではない」という考えは、医学的にも嘘ではないようです。環境の変化や食生活などで、変わることもありうるらしい(多少だと思うけれども)。

青い目の人たちがサングラスをするのは黒目の私たちよりも紫外線の影響を受けやすいからで、単なるファッションではないと聞いたことがあります。せっかく黒いなら青くする必要があるのかとも思いました。
で、この動画を見て、改めて鏡を見て自分の眼の色を確認してみました。茶色で、周囲に黒い縁取りがありました!(今更知る)

私はカラーコンタクトレンズや瞳を大きくするコンタクトレンズを付けたことがなく(昔試してみたら痛かったからやめた)、瞳が変わったら自分の顔がどんな雰囲気になるのか見たことがありません。
青にしてみたいなー!と思いつつも、そんなことに頑張っている場合でもないか、とも思い(爆)、とりあえず以下の食品8種をきちんと摂り続けると毒素が抜け体が浄化されるという情報を提供して終わります。

動画では、「時間はかかるかもしれないが以下の食品を採り続け、かつ菜食主義になると、黒い目が青くなる」と謳っています。
ウワウルシ(クマコケモモ)
ハチミツ
ほうれん草
カモミール
オリーブオイル
玉ねぎ
ナッツ類全般
生姜

Akira Sagawaさんが、私の意見をドイツ語に訳してシェアしてくださいました。感謝です。それをまたシェアさせていただきたいと思ったのですがシェアすると私の日本語文章だけになるので、コピーして以下に掲載しました。
私は日本語でしか書けないので、外国の方に、賛否両論あれどこう考えている日本人がいるということが少しでも広まれば嬉しく思います。


原発を止めて電力供給がなくなるのは困るという地元の方の訴えもよくわかります。ツイッターでは止めろ止めるなの意見がどちらもたくさん上がっています。
Ich verstehe schon, wenn die Bewohner um die AKWs meinen, es sei schlecht, wenn sie keine Stromversorgung mehr hätten. Im Twitter sind auch beide meinungen Vertreten: Gegen oder für die AKWs.

でも、福島のあの場所に居た人、行った人なら絶対わかる。ああなってからではもう遅い。この先何十年も、誰も入れない場所になるのです。危険度を少しでも下げるという意味で、賛成派であっても、強がらないで、まずは止めることを考えてほしい。
Aber jeder, der mal in Fukushima gewesen ist versteht sicherlich, es ist zu spät, wenn so etwas bereits passiert ist. Dieses Gebiet kann man jahrzehntelang nicht betreten. Um das Risiko möglichst zu senken, sollte man, auch wenn man dafür ist, zuerst an das Abschalten denken.

現時点での電力の供給が減ることよりも、生涯自分の街に戻れないことの方が、そして放射能が全国へ蔓延することの方が、どう考えても災難です。まだそうなっていないから電力の供給が大事だと考えてしまうのも仕方のないことですし、5年前の福島ではまさかあんなことになるなんて予測していませんでした。
Katastrophal ist, dass man nicht mehr in die Heimat zurückkehren kann, aber nicht dass die Stromversorgung knapp wird. Die Radioaktivität verbreitet sich unkontrolliert global, das ist doch die richtige Katastrophe. Wenn noch nichts passiert wäre, könnte man sich noch erlauben zu denken, die Stromversorgung sei wichtig. Bis vor 5 Jahren mit Fukushima hat man sich auch solche Unfälle nicht vorstellen können.

しかし今は、違う。あの経験をしたからこそ、今度の地震で少しでも安全を期すためにすることは?たとえこれまで賛成派だった人だって心の隅では思っているのではないでしょうか?
Aber jetzt ist es anders. Just nach all diesen Erfahrungen sollte man denken können, was man als Erstes nach diesen Erdbeben (in und um Kumamoto) tun sollte. Auch Befürworter der AKWs haben bestimmt selbst die Angst gespürt.

私は昨日のライブで原発反対派であることをMC中に明言しました。宇宙人コンテストin福島も、根っこにはそれがあるからこそ、今後のエネルギー問題について意見しあうために考えました。
Ich verzichte auf die Übersetzung dieses Absatzes, da es um Veransaltungen geht, die ich nicht kenne.

私が今思うのは、この渦中は議論をしている場合ではなく、こんなに地震が続いている状況を見ると、まずは、とにかく一旦止めるべきだということです。賛成派の人だって、地震の影響がどれだけあるのか、どんな地震がこの後来るのかはわからないのだから、福島と同じ状態になる場所が他にまた増える可能性を少しでも減らさなければならないのは、人それぞれの考えにどんな違いがあろうと、明らかなことです。
Ich denke, jetzt, wo die Erde weiterhin pausenlos bebt, muss man nicht lange diskutieren. Wir sollten vorerst mal abschalten. Selbst die Befürworter können doch nicht wissen, wie groß der Einfluss von Erdbeben sein wird, und wie stark die Erde in Zukunft beben wird. Wir dürfen uns kein zweites Mal die Möglichkeit erlauben, solche Situation wie in Fukushima herzustellen. Das muss für jeden über die Meinungsunterschiede hinaus gelten.

様子見してる場合だろうか?すでに一度経験済みです。あの場所に行ったことのない人だって、どれほどの被害かわかっています。結果がわかってるんだから、何をそんなに踏ん張っているのでしょうか。
Es ist nicht die richtige Reaktion, einfach die Lage zu beobachten. Wir haben schon einmal erfahren, wie schlimm das ist. Was steht eigentlich im Wege?

止めた方がいいと思います。むしろ「止めなくていい」という理由の方が思いつかない。私は素人なので、私の知らない、止めなくていい理由は賛成派にはそれなりにあるのかもしれませんが、よくわからないです。
Wir sollten abschalten, ich könnte keinen Grund nennen, um sagen zu können: Wir müssen nicht abschalten. Ich bin Laie (in der Kernkraft-Technik), aber ich versteh einfach nicht, welche Gründe die AKW-Befürworter haben sollten.

終電間際の荻窪駅です!ほとんど人はいない。今日のシメは岩盤浴、すっかり体がポカポカとあいなりました。
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徒然雑文、テーマ二つくらい。
ここ数日ずっと新曲のことを考えながら歩いています。先日観た芝居も圧倒的で、人生の重さ、人生の楽しさ、人生の悲哀、人生の長さ、時には短さ…
そして人はいつも愛すること愛されることを切望して生きている。
そんなことを考えながら、歌詞を書き留め、浮かんだメロディーを録音して、電車の中、都内の街を過ごしています。やはり芝居はいい。私は歌が本業だけど、その歌のためにも、芝居は本当にできるだけたくさん観たいと思う。心が動く。私の毎日はまあご存知の通りすったもんだで(笑)、心が固まるような日々ではないんですけれども、しばらく感じていなかった感情を感じることができ、共感することによって自分の体や心、歌にも刺激を与えることができます。

終電が行くと、今度は人を運ばない作業の電車が入ってきました。私は隣のホームから、作業をしている人達を見て、あるメロディーが浮かび、その人達を見ながらiPhoneに小さな声で録音しました。
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私が帰ろうとする時に働き始める人達を見ると、いつも思います。
働く人達は、朝でも昼でも夜中でもいる。寝る時間も起きる時間も皆それぞれで、24時間人間の何割かがいつも起きて働いて日本という国は成り立っていて、今の日本は、誰かが働いていないと生活する上で必要なものが止まってしまう、ある意味とても危ない状況にあることも感じるけれど、誰かが働いていることによって電気もつくし急病も夜中の事故も助けてくれる人がいる、本当は感謝を忘れることなど、寸分もあるはずのない世の中なんだと。

毎日色んな所へ行き色んなことをしているのですが、今年に入ってからは、昼も夜もこんなふうに周囲にいる人達を観察しながら、基本的には創作活動で頭の中や心が動いており、ラジオで今年の抱負として言った「創作することに一番の重点を」を実行しています。
新曲を人前で歌う日が来るまで、私個人の様々な経験がありそこから曲が出来て、一緒に舞台に立つ仲間達に伝えてからも作り直しやアレンジや、採用や却下、やむなき妥協や挑戦があります。たった一曲だけでも気の遠くなるような年月がかかったものもあれば、あっという間に出来た曲もあり色々だから、時間は関係ないのだけど、歌うその日は初めて聴く人の前で自分を主張するわけですから、どんな気持ちかということを言葉に表現することはなかなかできません。
なので、脚本でも音楽でも小説でも絵でも、それを世に出した時の、初めて人に見せる時の、どうだ!という自信や、不安や、緊張や、そして喜びや、達成感、すごくわかるので、私は人の作品をそういう意味で批判する気持ちは全く起きない。

好みはあります。
ただ、世に生み出すその日までのプロセスに、何もなかったはずはないので、そこの部分に感動してしまうんですね。どんなに評価が低くても、本気でやった、という気持ちが伝わるものならば。
しかし本気がなく適当な気持ちで出したものはすぐわかるから、そういうものには心が動かないけれども。良いか悪いか、の判断といえば私の場合はそこだと思います。
だから私の作品を評価してよ、という意味の記事じゃないですよ!!(笑)
2/14は新曲を披露できるかと思います。

水木ノアでしたっ!←よく言うラジオの終わり方