シンガーソングライター水木ノアのすったもんだオフィシャルブログ 
今日10月18日は、2013年ニューヨークに初めて降り立った次の日だと思います。
という本日(というか昨日、NYに着いた日)は、第二の故郷中野を徘徊してました。第一の故郷は福島、第二の故郷は中野、第三の故郷はニューヨークなんです(第三はたった一週間の思い出が中野の7年分くらいある感じなので勝手に決定)。

ちょうど中野に用事が出来たのでそんなことを考えながら仕事を終えて第二の故郷中野の街をウロウロしている間に、ザ・中野!というような雰囲気でもあるような新曲が出て来て、帰宅して作業に取り掛かり、しばらくくすぶっていたのが、中野のおかげで一気に加速!

楽しいことはもちろんたくさん覚えているけど、本当に辛い時期を過ごしていたのも中野でした。なので、嫌なことも思い出します。
でもそれもいい。どうしてかというと、中野にいる間に立ち直ったので、日に日に楽になっていく日々も中野で過ごし、中野は私の人生の落ち込み始めからどん底、そして立ち直りまでを見てくれているからです。

この中野に住んでいる間に、福島のあきばたまみちゃんからニューヨークに行かないかと誘ってくれて、何もかも一旦リセットしたかった私は行くことにしました。
中野からでっかいスーツケースを持って出かける時に管理人さんに「おや、今日はどこへ?」と聞かれ、「ニューヨークです!」とドヤ顔で言ったのも思い出す(笑)。
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そしてたった一週間のNY滞在の経験で私は別人のような考え方を持って帰国しました。本当に感謝の地です。今の私のバカとも言える前向きな性格も、辛かった時期にNYに行って、戻ってきたら中野が別な街のように見えた、というような経験も関係しているのかもしれない。

写真はNYでの写真、マンハッタンの街ではKenji Moriさんが撮ってくれました。思い出します!二人で歩き回ったNY、寒かった〜〜〜(≧▽≦)
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こちらは中野に住んでいる時に終電なのに電車を降りるのを忘れて、高円寺から歩いた時に撮った深夜の中野サンプラザです。
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新曲は12月14日のライブで発表しましょう。前向で、「頑張らない」、そんな口笛を吹きながら中野を歩いているおっさんをイメージした歌を作りました(笑)。

中野は、ニューヨークをイメージして、ブロードウェイもあるしセントラルパークもあります(笑)。
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つたない私の意見ノート。ある方から「黒は普段着てはいけない」という話を伺って、それについて記事を書いたことがありましたが、色々考え続けて過ごし、やっぱり私は、黒でも何でも好きな色なら着ていいじゃないかと結論(笑)。

尊敬する美輪明宏さんも「葬儀で着る黒い服を普段から着てはいけない」と言っていますが、尊敬する人の全意見に賛同する、ということでもありません。違う考え方は部分的に必ずあると思います。

PENGUINのファンTシャツがブラックペンギンになったもっとずっと前から、私は「黒い服がいけない」という意見について、さてどうかな?と思っていました。頭から爪先まで全て黒、そして黒しか身に着けない、という人がいたら、それはもうちっと色々な色着たらいいんじゃないかいと思うかもしれませんが(笑)、黒だって意味があって存在している色であり、黒が大好きな人、赤が大好きな人、そんなのは人それぞれ、自由だと思います。

そして服の黒はいけないのに黒髪はいいのか?髪の毛は仕方ない、と言うのであれば、ちょっと詰めが甘い。日本人の基本の髪色は黒だからか、むしろ赤毛や金髪を学校では注意され、「黒にしなさい」とか意味不明な統一を求められる(今は違うのかな?私の時代はそうだった)。
髪の毛に真っ黒を求めておいて、黒の服は着るなというのは明らかな矛盾と感じます。髪は赤いのがだめ、服は黒いのがだめ。これって完全に人間のエゴであり、人間が作り上げた「一見正しそうに見えて、実は何の根拠もないマナー」だと私は思うわけです。

世の中に存在するあらゆる色の中で、この場に合うとか合わないとか、歴史の中で黒が悲しみを表現するようになったというように人間が作り出した価値観は存在しますが、結局は人間の「思惑」の産物であり、黒さんそのものにとっては迷惑な話かもしれない。

葬儀では黒、これは先進国ではそうですが、そうじゃない国もあります。そもそも服のない国もあるぞ。もし「宇宙意識的に」黒はダメだと言うのであれば、地球上にどれだけの文化が存在しているのかわからないで言ってることがバレてしまい、宇宙意識を解くもなにもない。かつての日本、最近まで葬儀で着る色は白でした。

郷に入っては郷に従えですので、マナーは守って生きてはいるが、自分の心情として人として、人に対してやってはいけないと思うことに従っているだけで、食器のマナーも着物のマナーも、それそのもののマナーとしては覚えても、他の国では全く通用しない場合があることを意識することも、広い視野の人間として必要なことだと思います。多種多様な人間がいて、それらがひとつのまとまりとしての宇宙意識になっている、という視野で私は見たいのであります。

黒は、葬儀には着ていく色として「人間に」選ばれているが、集中したい時、気合を入れる時、締まっていこー!という時、とにかく今日は1mmでも痩せて見せたい!という時(笑)、黒を選ぶ人もいるでしょう。

また、私は挙式業で黒スーツを着ますが、それは「めでたく、華やかな主人公を目立たせるため、そしてスタッフが変に目立ってしまわないように」あえて意味のある黒を着ます。
これはいうまでもなくTPOで、黒を着ることで黒の人と派手な色の人の役割分担がしっかり出来上がるわけです。

写真は「黒といえば」のハリウッドスターの写真拝借(≧▽≦)マトリックスでは、やっぱり黒が選ばれて当然と思いました。
ネオがピンクはないだろう(笑)。←これは私という人間の「思惑」(爆)
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ちょっとしたことなのですが、特に女性に多く、背中と上腕の後ろ部分などにブツブツがあって何をやってもツルツルに戻らず悩んでいる方に参考になればと思い書いてみます。

背中や腕だって、本来ブツブツではないところ。どうしてか女性に多いんですが、その理由はここでは置いておいて、一度そうなった私がツルツルに戻った経験を書いてみようと思います。

ひどいと病院に行って薬を貰う方もいるでしょうし、市販の薬やアロマオイルを塗ったりしても、良くはならなず現状維持という方が多いと聞きます。私も5〜6年前、背中や上腕の裏側にいつのまにかブツブツザラザラが発生して、テレビでもまさにそれ専用の薬のCMを見たりし、「これか!ついに私もか!」と思ったものでした。
その時期私は非常にストレスフルな日々を送っており、ストレス、ホルモンバランスの崩れなど原因しているのだろうと思いました。生理も止まった時期です。

ちょうどその頃、確か木の実ナナさんだっと思うのですが、「もう長いこと身体は自分の手だけで洗っている。トラブルも何もない。ツルツル。」と言っているのをテレビで見たんです。そこで私はピンと来ました。これを土台として、他に自分が選んでやってみた手法が良かったらしく、1年後、ブツブツ背中ももちろん、身体全体至るところがもち肌に変わりました。

ブツザラになってからというもの、清潔にしておいた方がいいんじゃないかと思いボディタオルでゴシゴシこすり、それでブツブツも削られて(笑)平坦になるのではという「妄想」に取り憑かれていました。
気になるのでしょっちゅう触っていたし、見せたくないので長袖を着ていました。電車やエスカレーターで前の女性の背中や腕の赤いブツブツを見ると、「私と同じだ、放置してるのかな、諦めたのかな、気付いてはいるだろうに。」などと考えたりしていました。

しかし木の実ナナさん(多分)のトークを見た日から、ボディタオルやスポンジで洗うのをやめ、手で撫でるように身体を洗い(使用ソープはドクターブロナー)、上がってからは「拭く」のではなく「タオルで身体を押さえる」水分の取り方をするようにしました。そしてお風呂と、その後何かを塗る時以外は「触らない」を徹底。何にせよとにかく「こすらない、できるだけ触らない」という基本です。

重症ではなかったので数日で乾燥は改善され、ブツブツはまだありましたが赤みや、凹凸に垢がたまって黒くなったところも肌色に戻ってきました。
その頃一人暮らしだったので私の背中を確認してくれる人もおらず、iPhoneを背中にまわし撮影して確認していました。

手で身体を洗い、タオルで「拭かないで押さえる」を始め、触るのを我慢して半年、ついに状態に明らかな変化が現れました。1年後には完全に、何事もなかったかのような肌に戻りました。
まだ洗い方と拭き方を変えなかった時、塗ればある程度効果があるクリームやアロマオイルなども塗っていたとは思うんだけれど、そもそも大変こすっていたので、改善する暇がなかったのでしょう。
でも気付いてからは、何かを塗る時は身体も顔も「絶対こすらない!基本!押さえて入れる」を徹底しました。

もはや「塗る」という言葉も違いますか。塗っては駄目なんです。押さえて入れ込む、というのが正しい。保湿が大事なので化粧水もいいですが、手に取って押さえて皮膚に入れます。
背中に化粧水を入れ込みたい時は、手に化粧水を取り、掌に広げて濡らし、背中に押し当てます。

ここで一番にお伝えしたいことは、何を使うかではなく、基本的に「洗い方と拭き方と基礎化粧品の入れ方」です。
そんなこんなで、間近でも自信を持ってお見せ出来る背中と腕を手に入れるために、この方法をおすすめいたします。やったことがない方は是非お試しを♪

面白い出来事。テーマは「お」

出かける前に母が言った。
「『おうどん』ってシェフが言うんだけど「お」はいらないんじゃないかね?」

確かに麺類だったら「おそば」は聞くが(私は言わない)、さすがに「おラーメン」「お焼きそば」「おきしめん」「おスパゲティ」「おざるそば」は他の人も言わないし(言う人いるかも?)、「おパン」も言わない。しかし「お米」は言う。

「お電話」は言うが「お携帯」は言わない、「お財布」は言うが「お小銭入れ」は言わない。
「お」を付ける日本語の線引ってどこなんだろうと思いつつ、私はまつげエクステに出かけた。

そうしたらなんと!
「お客様、おはじめてですか?」と聞かれた!
「お、お?  初めてです。」
と答える私。

なんでこういうシンクロがあるんでしょうか(笑)。

箸によく書いてある「お て も と」。
よく言われる「お足元にお気をつけください。」
外国人は、この微妙な「お」の使い方を習得するのは難しいのではないかと思う。「てもと」に「お」が付いたのではなく「おてもと」という1ワードだと思っている人も多いのではないだろうか。
これは相手を尊重する意味での「お」だと思う。

しかし「物」に関しては、なんでそこに「お」を付けるのか、と思うことはよくある。
「お」については、1冊になっちゃうくらい思うことが色々あります。きっと日本人の皆さんそうでしょう。
ひとまずはこの辺でお終了いたします。


☆FBに書いたら、「御御御付け」というすごいのがあるというコメント、若い宮廷の女性が言い始め、当時はギャル語だったらしいというコメント、お米などは昔は神聖なもので、日本とでは食べ物に対して尊敬とか敬意があったのでは?というコメントなど、色々いただいてかなり勉強になりました!

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こんなことを考えている昨今なので書いてみようと思いました。8/4のライブタイトルは「真夏の夜の夢のまた夢集会所」ですが、以降のライブ告知ではこんなに色々書きません、今考えていることがあり、こんな私がやるライブのタイトルが「真夏の夜の夢のまた夢」になりました。

そこそこの長文かつ雑文です。

「露とおち 露と消えにしわが身かな 難波のことも夢のまた夢」とは、豊臣秀吉が残した言葉です。豊臣秀吉といえば、天下統一し大阪城を作って、金銀財宝を手に入れ、日本中が自分の庭だと言った成功者です。日本ではいまだにビジネスでの成功書などによく、秀吉のストーリーが引用されますね。

当時の大阪城は、100万坪あったと言われています。ぴんと来ないので計算してみました。よく使われる例え、東京ドームは坪にすると28000坪ってことなので、ざっと3万坪とします。そうなると東京ドーム33個分くらい。やっぱりぴんと来ない(笑)。

それはさておき、望みのものはなんでも手中に収め、正室ねねの他側室は6人。家臣に金を配りまくり、金でも物でも人でも、欲しいものは全て手に入れました。
しかし生まれてから若いうちは貧乏な幼少時代を送った秀吉。織田信長に仕えるところから立身出世の道を模索し、武士の家系でもないのに日本人では知らない人がいない(世界でもかなり知られている)歴史に名を残す名武将になりました。お城をもらったのは37歳の時。これだけでも、私ならイエーイ!やったー!もう休もう。となりそう(^^;)


その後色々あって信長が本能寺で明智光秀に殺されました(諸説あり)。とにかく死んでしまった主君信長の仇を討ったあたりから、ついに、秀吉自身が天下統一への道へと進み始めます。信長の仇討ちの後、同じく信長の家臣だった柴田勝家と仲が悪くなって、戦争。そして勝利。戦争の原因は多分勝家の嫉妬ではないか。

そこから、大阪城の建設が始まりました。上記した100万坪の敷地を誇る大阪城が無事完成し、天下統一となります。この後の栄華というものは皆さんの知識にお任せするとして、こんな、一平民から天下統一まで成し遂げた日本の五本の指に入るであろう成功者が、人生の最期に残した言葉が、これです。
もう一度書きますが、「露とおち 露と消えにしわが身かな 難波のことも夢のまた夢」
難波は、大阪のことですね。

「振り返ると、朝露が消えるかのごとくあっという間の人生で、なんと儚いものであろう、私は何をしてきたのだろうか、とっても虚しく感じる。」というような意味です。
どんだけ権力や財産に恵まれても、全ての人に必ず平等に訪れる「この世を去る」ということ。これを実感した時に、今までの人生で手に入れたもののどれひとつも、持っていけないことを悟ったかのようです。

確かに、何を手に入れても、当時の人生約60年、今なら約80年(しかしその人生の全部でもない)という本当に短い間自分のものであっただけで、死んだら手放すものばかりです。
秀吉は権力を得てからは望みのものは何でも手に入れたけれど、その代わり、トイレや風呂、寝室など至るところに、いつ襲われても逃げ出せるように工夫を施し、徳川家康にはビビっていたので妹を嫁に行かせ、色々と気を遣っていました。戦々恐々の人生。神経休まることなく生きていただろうと思います。

そして最期に、これまで手に入れたものは全て儚いものだと言いました。これだけの成功を収めた秀吉が言うのでは、単なる「権力欲」「物欲」「金欲」などの達成だけでは、人生の最期に、「なんだかねえ」と感じるのかもしれません。

しかし秀吉がどんなことを人に対してしたか全てのことはわからないけれど、尊敬していた人も多かったはず。秀吉にはやはり何か人を惹き付けるものがあったからこそで、それがなければ秀吉をここまでにはしなかったでしょう(成功は、周囲の人の協力あってこそ)。

人生の目的とは何でしょうか?うーむこれは人によって様々だし、そもそも「目的はない」だったり、「生きることそのものが目的だから生まれた」という考えもあるので、その辺りの判断は皆さんそれぞれでしょう。
豊臣秀吉にとって天下統一が夢であったように、皆さんにも叶えたいものがあり、そして私も音楽はやりたいからやっているもので、誰かに言われてやっているものではありません。それでも、どこかで、本来の目的を忘れてしまっているかもしれないという時もあります。


そしてこちらは我欲の話。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」では、私としては最も「人間の身勝手さ」を感じる部分が、冒頭の「娘の願いなどどうでもよく自分の望む男と結婚させようとする父親」です。言うことを聞かなければ死刑、というわけで、自分の望みに叶わない娘は殺す、ってすごい時代だなとか思いましたが、「自分の言うことを聞いてほしい」という我欲たるものが、いつでも人とのトラブルを起こす発端となっていることは、多くの人が気づいているでしょう。

このストーリーでは、魔法を使う妖精によって、娘、その本当の恋人、娘の友人、父親のいいなづけ4人がごっちゃごっちゃになり(詳細省略)最終的にもともとのカップルであった娘と恋人、そして新しく誕生した娘の友人と父親のいいなづけのカップルが誕生し、めでたしめでたしとなります。

昔は、親が決めた相手と、歯向かうことなく結婚した人も多かったしそういう文化がありました。当然秀吉の時代もそうですし、偉くなれば側室システムもあり、女同士の闘いたるや大変なものだったらしい。
時代は移り変わり、少なくとも先進国では結婚は一対一となっています。しかし時代が変わり価値観やシステムがどう変わろうとも、やはりトラブルや人の苦しみはなくなることはなく、そうなったらなったで問題が発生しています。

なぜ人は苦しむのだろう、あらゆるものを手に入れた秀吉も、「夢のまた夢」と言い残して逝ってしもた。我々平民にも夢与えてくれよ!と言いたいところだが(笑)、時代がどんなに移り変わっても、物欲はなくならず、むしろ貨幣というものが誕生して金の亡者も生まれました。
そして人は人に苦しめられています。そこは有史時代ほとんど進展していないように思います。
しかし「未知との遭遇」のラストに出てくるあの宇宙人達が、相手とのトラブルに悩んでいるようには到底見えない(笑)。

物欲が達成されてもいずれは死ぬ、我欲で行動しても人を敵にまわし嫌われる。こんなことを考えると、今自分がやっていることを、死んでも持っていくことは出来ないけれど、「それらをやることによって」良い人生だったと思え、素晴らしい人間関係を築き上げられたら私の人生は成功だし、できなかったことがあっても、あんまり問題はない。

今生きている皆さんの人生の中に、辛いなあ、思うようにいかないなあ、と思うようなことがありますか?「本当に素晴らしい人生とはなんだろう」ということを語り合い、シェイクスピアや豊臣秀吉に習う「人生の成功とはなんぞや」というものを考える人々の集会所を、近々開きたいと思っているわけです。

ということで「真夏の夜の夢」と秀吉の言葉の最後をくっつけて、「真夏の夜の夢のまた夢」。
トークライブやるんですか?いえ、こんだけ書いたのに当日はほとんど演奏です(爆)。

ライブ告知ですか?はい、そうです(笑)。

食べ物ネタ二つです。母の詩吟の先生がくださった、ご自宅の庭から引っこ抜いて来た玉葱( ^∀^)
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玉葱に生えている葉っぱ部分は、「ネギ」とは違ってあまり食べないで捨てられることが多いらしいですが(販売されないから)、味噌汁にしたりすると美味しいそうです!

そして問題のカール!私が今日買った「チーズあじ」は、全国販売から滋賀県・京都府・奈良県・和歌山県以西での販売になるとのことで、そちらへ行かないと買えないことに。ちょっと思ったけれど、それによって買えない地域向けのネット通販が繁盛することになるのだろうか??
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完全に販売停止になるのは「カールカレーあじ」「大人の贅沢カール」「小つぶカール」。2017年8月生産分以降からなのでまだしばらくは店頭から姿を消すことはなさそうだけど、いずれは完全に消えてしまう。

「なぜなのか?」の理由は「売り上げが低迷したから」なんだけど、「なぜ売れないのか?」の理由は、これだというはっきりしたものはないのですが、「スマホが主流になり、手の汚れるお菓子は全体的に売れなくなっている」という現代の流れに関係しているという意見がありました。

10〜20代には、ポテトチップス始めスナック菓子を箸で食べる人も多くいます。ならばカールだって箸を使えば売り上げを維持出来るのではとも思うし、他にも手に成分が着くお菓子も結構ある。

しかし、歯にくっついてなかなかなくならない、口の周りに粉がくっつく、というような、「食べにくさ」というのも関係しているようでもありました。手軽にポイ、というわけにはいかないのか。お煎餅もスナック菓子も変わらず全国的に売れているとのことなので、カール低迷の理由は、これなのかなあ。

昭和のTVコマーシャルといえば、カールでしたねえ。よく覚えています。

バスが時間過ぎても来ないので、不安だから気を紛らすため自撮りして待ってました(笑)。
道路も混んでないのに、来ないのかな、どうしたのかな、時刻表見ても私が着いた時間にはまだバスは行ってないはずだし。。。と気をもんでいました。
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で、バスが5分遅れて到着し、待ってる間は結構心配したのだけど、乗ってから「たった5分、時間の読めない道路で普段ほとんどぴったり、遅れても5分て、考えてみればすごいことだ。たかだか5分で遅れたなどと言っては運転手に申し訳ない。」とか思っていたら、窓の外にナンバー999の乗用車を発見!

おおスリーナイン!ほんのちょっと移動するのに5分の遅れなんかどうでもいい、スリーナインのことを考えれば!と思い、さて、銀河鉄道999について書こうじゃないかと思いました(≧∀≦)
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スリーナインは、999の前に111〜888まであり、私達で言う中央線とか京王線みたいな名前がついてます(これは私の個人的表現)。
999は『大銀河本線』
ここまでは、結構知ってる人はいるでしょう。

で、私は全部は覚えていないので、改めて調べてみました。懐かしい懐かしい!調べてみると、あーっそうだった!と思い出す路線もありました。

111号 銀河中央線
222号 大オリオン線
333号 カペラ高速線
444号 内銀河環状線
555号 オリオン大環状線
666号 マゼラン連絡線
777号 謎の外銀河線
888号 アルデバラン環状線

このように、アニメ【銀河鉄道999】は、999しか出て来ないのではなく、これらの列車も出てきます。特急は年1、超特急は4年に1本。
乗り遅れたらえらいことです!

記憶が薄っすらなんですが、確か行方不明になったいずれかの列車が見つかった時に、時間の流れが違うところいて、とんでもなく朽ち果てていたシーンで、意味がよくわからず、それでいてものすごく不思議〜な気持ちになったのを覚えています。

銀河鉄道999は、途中で攻撃されるし、停車駅(星)が消えてなくなってることもあるし、降りたら人も何もなかったりするし、時には霊ばっかりだし、時間軸が変わるし、近くを通りかかって捕まるし、へんな人乗ってくるし、挙げ句の果てには機関車自身が怒って暴走するし、考えてみれば一度乗ったら最後、踏んだり蹴ったりのすごい列車です(笑)。

それに比べたら、東京都のバスは、何事もないのだ。


この文章を書き終わってFBに更新した後、「銀河鉄道999の前に、111〜777まである」という致命的な打ちミスをしていたことに気づきました。なんでここ間違えるかな!!

111〜888だから(;゚□゚)

信号の前でおじさんがポケットから何か落としたので「すみません〜」と声をかけたら、振り返り「なんじゃらほい?」と応えた。なんじゃらほいと、冗談じゃなく素で普通に言う人がいた(笑)。
こりゃおどろいた。

と、先日Twitterにつぶやきました。

路上で私の前でハンカチを落としたおじさんに声をかけたら、振り返って「なんじゃらほい」と言われ、全く予期していなかった回答に後ずさりしつつも笑いをこらえながらハンカチを返したという出来事がありました。それを呟いたら皆さんから色んな回答があってちょっと盛り上がりました。
それで、「なんじゃらほい」というのはどこの方言だったか?「なんだそれは」という意味ではないかなど色々コメントを寄せていただいたので、ここはひとつ、この言葉について調査してみようという気になったのです。

調べてみると非常に面白いことがわかりましたよ!
それにしてもYahoo知恵袋ってのは、本当に何でも書いてあるんですねえ!どんなくだらないことでも大概他の誰かが疑問を呈しているYahoo知恵袋を、私は「現代人の集合意識」と名付けたいと思います(笑)。

こんな質問がありました(概要)
「20代だが『なんじゃらほい』という言葉を友人とよく使う。そうしたら40代の人も知っていて驚いた。これは古い言葉だったのか?」

こっちがびっくりするって!(40代)

そして様々な回答の中から「普通に誰でも使うんじゃないか?」
にもびっくり!
言われたことで驚きわざわざ記事にした私は浅かった・・・と思わざるを得ない。

しかし多くの回答は、むしろ年配の人の言葉だと思うというものでした。

この回答を述べるにあたり、諸説の中からどうしても2つの全く違う説がどちらも説得力があるので、両方の説をご紹介します。全く違う方向からの説でありながら、どちらも捨て難い。

まずは「表向き」の説をご紹介しましょう。
これはなんと、長野県の木曽福島町の有名な民謡「木曽節」発祥なのだそうです。大正7年に木曽福島町長をしていた伊東淳(いとう すなお)さんが観光客誘致・地元振興のためにこの民謡が広まるよう尽力したことが成功し、民謡の中でも他県の人でも知っている有名なものになりました。

木曽節は木曽踊りを踊る時の歌で、 鎌倉時代に木曽家12代目信道が小丸山城を築き、戦勝を記念した霊祭で踊られた“風流陣の踊り”という武者踊りが「木曽踊」の起源と考えられているそうです。
それが後に民衆の間で盆踊りになった。

そしてまた、本当は「なんじゃらほい」ではなく「なんちゃらほい」が正解で、そのうち自然に変化して「じゃら」になってしまったらしい。
NHKの「民謡魂」で木曽節が歌われた時も、正しく「ナンチャラホイ」と歌って、字幕も出ていたそうです。
「何だろう」「何のことか」という意味で「ホイ」は合いの手。

「ちゃら」ではなく「じゃら」の方が広まった理由は、だんだんと「じゃら」に変わっていき、ついに昭和初期にレコードになった際、歌われたのが「なんじゃら」の方だったので、そこから全国的に「なんじゃらほい」が広まり日常的にも使われるようになったようです。

ということで、まず「表向きの」語源解説まとめ→信道の戦勝を記念した武者踊りの歌が木曽節で、歌にある長野県木曽福島町の方言の「なんちゃら」が変化、意味は「何だろう」「何のことか」。


ここから、さらに面白い説2をご紹介。
2014年に噴火した御岳山は霊山として有名で、修験道を兼ね備えた山なのだそうです。
信者によって歩き綴られた修験道があり、そこで祈祷を捧げる行者によって歌われたのが、この木曾節だという説です。

信道の戦勝を記念した武者踊り発祥説から打って変わって、祈祷を捧げる修験者によって歌われた説。

その根拠として、ヘブライ語があります。
ヘブライ語で「ナ」は「祈り」を意味。
語尾に子音の「メム」を付加した言葉が「ナアム」であり、「予言する」「預言者として語る」という意味を持っています。
「チャラ」はヘブライ語で「前に進む」「栄える」を意味。
また「ホイ」はこの説だと合いの手ではなく、ヘブライ語に「ああ」という嘆きの意味を持つ「ホイ」という言葉があるので、つまりこうなります。

「ナン チャラ ホイ」=「ああ、この世が良くなりますように」

おお〜ぅ!「なんだろ〜〜」から「ああ、この世が良くなりますように」という高尚な意味に変わってしまった!
でもやはりこちらの説も正解は「なんちゃらほい」ということになりますな。

そして歌詞にある「中乗り」という言葉、解説1だと船頭と考えられますが、解説2だと神の言葉を信者に告げる「中座」(神の依代)を指すということになります。

皆さんはどっちに軍配?

もしかしたら、武者踊りから発祥したとはしても、発祥のおおもとはヘブライ語である可能性は高いかもしれない、と思いました。日本語にはヘブライ語発がたくさんありますからね。

以上、「「なんじゃらほい」調査結果でした!

真実は・・・なんじゃらほい!